2023.09
26
東京の酒販店主が新潟の酒蔵を事業承継。新しい新潟酒造りに一人で挑む - 新潟県・越後伝衛門
東京都練馬区の酒販店「窪田屋商店」の6代目・加藤晃葵(こうき)さんは、この春から新潟市の酒蔵・越後伝衛門(えちごでんえもん)の蔵元杜氏として、たった一人で酒造りを始めました。
酒販店の後継ぎとして、修行の一環で酒造りの現場に入ったことがきっかけで、酒を売る面白さに加えて造ることへの興味が膨らんだ加藤さん。そこへ、越後伝衛門の親会社から事業承継の話が持ち込まれたのがコロナ禍の2021年の春でした。千載一遇の機会だと感じた加藤さんは、家族とともに越後伝衛門の事業を承継しました。
その冬(2021BY)には古い設備を使って実験的な酒造りに挑み、その後、少量小仕込みの蔵に改修して、本格的な酒造りを始めています。目指すは「ニッチな新時代の新潟酒」と言う加藤さんに、酒造りへの思いを伺いました。
酒販店の跡継ぎながら、新潟の酒蔵も事業承継
加藤さんは1988年生まれの34歳。大学を出て自動車の販売会社などで働いた後、長男として実家の窪田屋商店を継ぐ意思を固めます。しかし、「その前に、販売する日本酒のことをきちんと学びたい」という気持ちから、熊本、埼玉、新潟の蔵で一造りずつ蔵人として酒造りに従事。さらに、酒類総合研究所の40日間の研修を受けて、2016年に店に戻ってきました。
家業に専念する一方で、酒造りの指導の神様と言われた上原浩(故人)さんを師と仰ぐ箕浦淳一さんと知り合います。彼と酒を酌み交わしながら、酒造りの話を重ねるにつれて、加藤さんの「自分で酒造りをしてみたい」との思いがますます強くなりました。酒蔵の事業を承継することも考え、時々持ち込まれてくる案件に耳を傾けましたが、条件に合致する話はなく、半ば諦め掛けていたところ、今回の越後伝衛門の話が飛び込んできました。
越後伝衛門は、1953(昭和28)年、日本錦酒造として創業。その後、越酒造、越乃蔵酒造場、越後伝衛門と社名を変え、2000年には経営権が創業家から大分県の麦焼酎メーカー・老松酒造に移りました。しかし、その後も伸び悩みが続き、コロナのまん延を機に2019BYの酒造りを急遽休止。事業の売却先を探し始めます。
窪田屋商店は、それ以前から老松酒造の焼酎に加えて、越後伝衛門の清酒も取り扱っていた縁もあって、事業承継のオファーが入りました。
「売れ残っていたお酒は老松酒造が引き取るなど、事業を承継する条件が非常に良かったのです。加えて、箕浦さんが『もし、事業を引き継ぐのなら、酒造りを手伝う』と約束してくださったことが背中を押してくれました」
そう当時を振り返る加藤さん。こうして家族を説得し、2021年7月に越後伝衛門の事業譲渡を完了させました。
一人で高品質な酒を造れる環境づくり
ところが、事業譲渡と前後して箕浦さんが病に倒れ、急逝してしまったことで事態は急転。後戻りのできないところまで来てしまっていた加藤さんは、自分一人でできる規模の酒造りをすることを決意します。
事業譲渡は7月におこなわれたため、体制を整える余裕がないまま、2021BYは、「あくまでも試しにというレベルで」(加藤さん)、仕込み2本だけ実施しました。「巨大な麹室の中に小さなテントを張って麹造りをするなど、大変な作業でした」と振り返る加藤さん。それでもなんとかできた酒を持って、いろいろな酒販店にサンプルを持ちこみ、本格醸造開始に向けて酒質戦略や販売戦略を練りました。
2022年春からは、ようやく蔵の改修と設備の導入に動き出しました。高品質のお酒を一人で造るには、仕込みの規模(総米=1本の仕込みに使う米の総量)を300キログラムにするのが理想的だと考えた加藤さんは、1000リットルの仕込みタンクを5基揃えました。
洗米は10キログラム単位で、多めの水で洗います。蒸し器は特注で調達。上原浩さんがこだわった蒸しについては時間を決めずに、終盤になって蒸し器から漂う米の香りの変化を見極めて、終わりのタイミングの判断を下します。蒸した米は通常、麹米にするために麹室に引き込む米と、仕込みタンクに段仕込みで投入する掛米に分けられますが、一人でやっているので、両方の米を同じ日に蒸すことはしません。放冷機は使わずに自然放冷し、仕込みタンクへ運ぶのにはエアシューターは使わず、全量担いで投入します。麹造りでは、塊になった蒸し米を細かく崩す「切り返し」という作業がありますが、多くの酒蔵は切り返し機を使うのに対して、加藤さんは手作業でこなしています。
「手作業でおこなったほうが、品温の下がりが最小限になるし、より品質のよい麹になると思っています。また、圧搾機は使わずに、手動式の酒槽を使って搾ります。小さな酒槽なので、小仕込みなのに醪を二回に分けて搾らなければなりませんが、それでも、酒槽搾りらしい雑味の少ない酒を目指します」
食中酒として欠かせない「渋味」の価値
2022BYの造りは、3月から6月までの間に8本の仕込みを終えました。加藤さんは、「孤独感に悩まされ、重労働なので体重も落ちましたが、なんとか、造り終えることができました」と安堵します。
加藤さんが特に力を入れる技術的なポイントの一つは、酒母(速醸)造りです。温度の上げ下げを生酛酒母並みに大きくすることで、立体感と奥行き、幅を持たせた味わいを狙います。もう一つは、アミノ酸の生成を抑えること。アミノ酸を生成する酵素が麹造りの段階で増えないよう温度操作をして、飲んだ後のキレと清涼感のある酒を実現しています。
そして、最もこだわりたいのは渋味だといいます。
「煎餅と緑茶の渋味が合うように、あるいはワインの渋味が料理を引き立たせるように、日本酒も料理と合わせて楽しむ食中酒を目指すには、渋味こそが欠かせない要素だと思います。料理と合わせた時も、余韻に渋味が残ることで次の食事が欲しくなる、呼び水のような効果が期待できると信じています。
ただし、渋味というのは数値化できないので、コンスタントに造ることは大変難しく、これが、私の長期的な課題になると思っています。濃醇だけど涼しい、マッチョだけど細身の味わいというマニアックでニッチな世界を描いていきたいですね」(加藤さん)
酒米ごとに名付けたこだわりのラインナップ
8月から発売したお酒は、使用する酒造好適米ごとにネーミングを変え、精米歩合は全て50%に統一。越淡麗は「タマキハル」、吟吹雪は「東洋坂(とよさか)」、五百万石は「GOZ(ゴズ)」、雄町は「ミシャグチ」という名前を付けました。
「五百万石は、『五』百万石を『5』0%磨いたから、『5尽くし』という意味で『ゴズ』と命名しました。ラベルデザインは蔵から南東方面に眺められる五頭山(ごずさん)の5つの峰の標高の比率と、イラストの5人の女性の背の高さを同じにしてみました」など、どの商品名とデザインにもこだわりが詰まっています。
後発ゆえのハンディを克服し、個性ある酒でどのように若い飲み手の心をつかんでいくのでしょうか。加藤さんの挑戦はまだ始まったばかりです。
酒蔵情報
越後伝衛門
住所:新潟市北区内島見101-1
電話番号:025-388-5020
創業:1953年
社長:加藤晃葵
製造責任者(杜氏):加藤晃葵
Webサイト:https://www.e-den.info
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