“お燗の魔術師” 髙木晋吾さんが生み出す、誰もが楽しめる自由な燗酒「えんじゃく、」

2025.06

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“お燗の魔術師” 髙木晋吾さんが生み出す、誰もが楽しめる自由な燗酒「えんじゃく、」

水戸 亜理香  |  お燗番の流儀

飲食店やイベントで日本酒を提供するプロフェッショナルの中でも、燗酒をつけることを専門にしている「お燗番(おかんばん)」という人々がいます。

日本酒は、ほんのわずかな温度の違いでも味わいが変わるもの。それぞれのお酒の個性を見極め、料理やシチュエーションに合わせて最適な温度に温め、最もおいしく味わえる状態で提供するのがお燗番の役割です。温める道具や合わせる酒器、提供タイミングなどによって絶妙な調整を加えるテクニックは、まさに職人技といえるでしょう。

そんなお燗のプロフェッショナルに、燗酒の魅力やこだわりの燗つけメソッドについて語ってもらう不定期連載「お燗番の流儀」。第5回目は、世田谷区池尻にて日本酒バー「えんじゃく、」を営む髙木晋吾さんにお話をうかがいました。

“異業種転生”? 凝り性が高じて日本酒の世界へ

その燗つけの技と日本酒に関する見識には絶大な信頼を寄せる人が多く“お燗の魔術師”の異名を持つ髙木さん。実は30歳までは、誰もが知る大手電機系メーカーのエンジニアとして勤務、35歳で日本酒業界に入った異色の経歴の持ち主です。

ただ、日本酒は昔から好きだそうで日本酒歴は21歳から。生来の凝り性が高じて、大学時代は酒販店でアルバイトもしたそうです。当時のアルバイト先は、地酒にこだわる名古屋の酒屋。角打ちも併設されていて「ここで働けば飲めるなと思って(笑)」という動機だったとか。これが髙木さんの日本酒業界への入口でした。

そのころは日本酒が売れない下火の時期。それでもその店の扱う日本酒はとても幅広く、地元のお酒でいうと「蓬莱泉」(関谷醸造)のようなフルーティーなタイプから、「義侠」(山忠本家酒造)のようなボディのあるお酒までバラエティ豊か。スタッフは「開栓済みの酒なら試飲してよい」と許可が出ていて、さまざまなお酒を試すことができたといいます。大学院でも日本酒好きな教授たちと酒を楽しみ、いつも日本酒がそばにある学生生活でした。

上京、就職後も酒蔵巡りを趣味としていたそうです。燗酒にはまったのも会社員時代で、当時大田区大森にあった和食店にて「金目鯛のかぶら蒸し」と三重県タカハシ酒造の「天遊林」のお燗という組み合わせに感激したのがきっかけだったといいます。「『天遊林』はどちらかといえば控えめなタイプのお酒なんですが、鯛のかぶら蒸しの繊細な味わいと相まって、本当においしくて」。

それがあまりにも鮮烈で、この体験を機に“はまり症”な髙木さんは、自宅にちろりを購入。卓上のIHで湯煎して、自身で燗つけするようになりました。

転機が訪れたのは、30歳。実家の仕事の都合でメーカーを退職し、地元・岐阜県に帰ります。以降数年地元で過ごしたのち、実家が落ち着いたタイミングで再び帰京することを決意。「でもエンジニア職はほんの2、3年離れているだけでも最先端から遠ざかってしまうため、もう戻れないと思いました」。

さて、いざ「どうやって生活しようか」と考えていたころ、声をかけてくれたのが昔からの飲み友達で、神奈川県川崎市の酒販店「坂戸屋」の店長。ちょうど店に人が足りないということで誘いを受け、店の手伝いをすることになりました。再び髙木さんと日本酒業界がつながります。

その後、縁あって「坂戸屋」の顧客だった渋谷区神泉の創作料理店「ぽつらぽつら」 で働くようになり、飲食店の仕事が本職となった髙木さん。 「ぽつらぽつら」2号店の日本酒専門店 や、浜松町の 「SAKE Scene 〼福」 の立ち上げにも関わり、経験を積みます。

飲食業界のデビューは遅かったものの、40歳までに自分の店を持つことを目標にし、物件を探していたときに出合ったのが、池尻大橋駅から3分ほどの場所。和風の内装のワインバーだったためワインセラー用のスペースもあり、完全な居抜きで入れる物件でした。渋谷が近いながら閑静な立地も「マニアックなことをするにはいい街かも」と髙木さんを後押し。ここに「えんじゃく、」をオープンさせ独立します。前職からは想像もつかない、いわば見事な“異業種転生”です。

飲み方も食べ方も、自由が叶う「えんじゃく、」

「えんじゃく、」をお燗にこだわる店とした大きな理由は、「日本酒は世界のアルコール類で唯一と言っていいほど温度帯を楽しめる酒だから」だという髙木さん。

「日本酒には、うまみ成分のグルタミン酸がワインの3倍ほど含まれ、さらにコハク酸も持っています。 置き換えれば、昆布出汁と貝出汁。つまりおでんの出汁のようなものなんです。おでん出汁は冷たいより温かいほうがおいしく感じられますが、それは温かいほうが甘みやうまみを感じやすいから。つまり 温めるとおいしい成分が豊富に含まれているお酒の筆頭が日本酒なんですよ。それに、昔は冷蔵庫なんてないから、常温や燗で飲むのが普通でした。そんな歴史も知ってくれたらと思います」

とはいえ、燗酒しか出さないというこだわりはないそう。あくまで「冷たくてもおいしく飲めるけど、温かい酒の楽しさも知ってもらいたい」という気持ちで燗酒にこだわる店にしているといいます。

料理を作るのも髙木さん。おまかせのコースもありますが、ちょっとつまめる前菜や酒肴、スパイスやフルーツ、チーズなどを使った個性的なものまでアラカルトが豊富です。日本酒を気楽に楽しんでもらうためには本格的なコースやペアリングのみにしてしまうと機会が限られてしまうため、それぞれが楽しみたいお酒の量や食事量というニーズや、二軒目使いなどにも対応できるようにしているそうです。

「なぜかというと、僕自身がよく飲むので、ペアリングだとお酒が足りなくなってしまって……。一品に対し一種類のお酒を合わせる形式だと、『ちょっとお酒が足りないな』と思っても、追加をしてもいいものかどうか迷ってしまうことがあるし、逆にお酒が多いと感じる人もいます。それに『この一品にはこのお酒しか出しません』みたいなのも、あまりやりたくないんです。 自由に、柔軟にしたいと思っています」

燗つけは“火入れ”の役割。魔術師の日本酒理論

お燗番としての髙木さんの個性は、生酒をお燗にするのを得意とする点にあります。基本的には、フレッシュな状態の冷酒で飲むことが好まれる生酒。それを燗つけすることには消極的なお燗番も多い中で、髙木さんは生・火入れを厭わずにお燗にします。

「理由としては『お酒が生まれたときは必ず“生”だから』ですね。火入れで生まれてくることは絶対にない(笑)。生まれた生酒を酒蔵で加熱しているのが火入れ酒で、生酒のお燗は“火入れの作業を店でおこなう”だけだと思っています。

もちろん生酒は冷たくて十分おいしいけど、例えばお客さんに、最初は冷酒で提供して、そのあとで『実は、温めてもおいしいんですよ』と言って、同じものをお燗でお出しする。そうすると、味わいの明確な変化がわかりますよね。このサプライズが人を喜ばせる。『同じお酒なのに温度でこんなに違うんだ!』と感じてもらえたら、次につながります。この店を楽しい日本酒への門戸にしたいんです」

お酒は「何でもアリ、自由であってほしい」という髙木さんの理念は、燗酒に対しての考え方にも投影されているのがわかります。

そうは言っても、生酒を燗にすることは難しいと一般的には考えられています。その点については、髙木さんが燗をつける際に意識していることがあるそうです。

酒蔵で火入れをするときは、温度を一気に上げて一気に下げています。これは古くからの経験則でもあり、今は理論的にも理由がわかってきています。少し専門的な話ですが、カプロン酸エチルという芳香成分があって(※)、その中には華やかなエチル香が生成される前のカプロン酸も含まれているのですが、カプロン酸って生臭いんです。それぞれには沸点に差があり、低温のときにはエチル香が目立ちますが、中途半端な温度帯に長時間おくとカプロン酸が定着して生臭くなってしまいます。

多くのお燗番は燗つけの際、お酒をより柔らかい味わいにするために、低めの温度でゆっくりつけながら長い間空気に触れさせることが多いのですが、この燗つけ法は既に火入れされたお酒には適切ではあるものの、生酒だとカプロン酸の影響が出て生臭さが出てしまうんです。だから生酒は一気に温度を上げたほうがいい。燗つけもそれぞれのお酒に合わせればいいんです」

※カプロン酸エチル:脂肪酸であるカプロン酸がエタノールと結びつくことで生まれ、青リンゴなどのフルーツのような芳香を持つ。

生酒も火入れ酒も、自在な髙木流・燗つけ法

「えんじゃく、」では、「神亀」(埼玉県・神亀酒造)などの燗酒のスタンダードともいえる酒をはじめ、「隆」(神奈川県・川西屋酒造店)や、「王祿」(島根県・王祿酒造)、「竹雀」(岐阜県・大塚酒造)など、ボリュームのある個性的な生酒を造る酒蔵のお酒も豊富にラインナップされています。それぞれの個性を存分に生かすための“お燗の魔術師”髙木流・燗酒メソッドをうかがいました。

「湯煎は『かんすけ』です。ふたつ用意していて、温度はひとつが最大の90℃、もうひとつは60℃に設定しています。ちろりは銅を使っています。銅は薄いので、厚みのある素材よりも速く仕上がります」

お燗のつけ方は、生酒と火入れで方法を変えています。

生酒の場合、90℃のかんすけで一気に温度を上げたら、そのお酒を土物の徳利に移す。これで急冷されます。この作業が酒蔵で一回火入れをするイメージですね。そして、その一回火入れ状態のお酒を、今度はお客さんに提供するための温度にするため、60℃のかんすけに徳利ごと入れて、ゆっくりと温度を上げていきます。

既に一度火入れされているので、もう生臭さは出ません。この作業が2回目の火入れと同じような役割で、多くのお燗番さんが火入れのお酒を燗つけするときと同じ感覚です」

一方火入れのお酒は、初めから60℃のかんすけに投入し、ちろりでゆっくりつけます。

「火入れのほうが、生酒より高めの温度に燗つけしますね。生酒は温度が高すぎると渋みが出てきてしまいますが、火入れの酒は60℃のかんすけの中で上げられるところまで温度を上げたうえで、徳利に移します。それで少し温度が下がった状態がちょうどいい提供温度、という。飲み口でいえば48℃~50℃程度ですね」

お酒の温度はタニタ製の料理用デジタル温度計で測っているとのこと。本来は、ほんのりと甘い香りが出てくるタイミングや蒸気の熱感で判断し、温度計なしで仕上げられるそうですが、ひとりで店を切り盛りしている関係上、料理とお酒を同時進行させるとどうしてもお燗から目を離さなければならない瞬間があります。その際、デジタル温度計なら一瞬の目視で温度確認ができるのが便利なのだとか。

また、初めてのお酒をお燗にする場合、どんなお酒でもまずは55℃でお燗をつけてみてから、ベストな温度を探るのが髙木流だそう。“55℃”という数字が重要なわけではなく、自身の頭の中で基準の温度をひとつ設定することが大切だといいます。

「お酒によって『これはこのぐらいの温度がいいかな?』と都度想像して燗つけすると安定しないですよね。でも、すべてを同じ温度で燗つけすると、いつでもぶれずに比較、検討できるんです。ちなみに私が55℃に設定しているのは、温度を高めにすれば、その後温度が下がるときの様子も確認できるからです」

これは日本酒愛好家の人たちも参考にできる技かもしれません。

仕上がったお酒をいただくための酒器は平盃です。「開いた形状のものは、ひと口目と最後で温度の変化が感じられる」 という点と 「舌全体で味わえるので、あらゆる味わいを感じ取ることができる」という点が、選択の理由だそうです。

また、徳利も含め酒器は作家さんの一点ものが多く、これは「家とは違う、店に来ることの特別感を感じてほしい」という演出でもあるのだとか。

そんな魔術師の燗酒のイチオシペアリングを聞くと「あえてひとつ挙げるなら『フルーツとブルーチーズのオーブン焼き』と『悦凱陣』(香川県丸尾本店)の無濾過生酒ですね」とのお答えが返ってきました。

時期によってフルーツの種類は違い、主に冬から春は国産キウイ、初夏から秋にかけてはイチジクを使うことが多いとのことです。フルーツの甘みと酸味にブルーチーズのコクとちょっとした癖、といった味わいが、同じく甘みと酸味が強く濃厚な「悦凱陣」に非常にマッチするのだとか。

髙木さんによると、「悦凱陣」のような乳酸系の酸をしっかりと感じさせるお酒は、同じ種類の酸を持つチーズと同調し、温めたお酒はとろけたチーズの油脂を冷まして固めることなく、スムーズに口中を流れてくれるといいます。

ワインの“マリアージュ”とは違い、お互いの持つ同じ要素を高める“ペアリング”の理論ですね

誰もが楽しめる“柔軟で優しい燗酒”をつけ続ける

締めくくりに、髙木さん自身が考える“髙木流燗酒”についてうかがいました。

「やっぱり、生酒のお燗のような『他の人がしないことをする』ということでしょうか。一方で、蔵元やお客さんには『優しくて飲みやすい酒』が個性だと言われます。確かに普通のお燗番さんのつけるお酒は、ちょっとスパイシーで苦味なんかもあって、料理と合わせたときにピリッとした刺激が活かされるようなものが比較的多いんですが、自分はお酒単体でも飲みやすいものを考えています。そういう意味では“優しい”お酒なのかもしれませんね。

それから、お燗って“人柄”が出るんですよ。同じ人の燗つけしたものでも、その日の機嫌によって違ったり、また結婚とか子どもとか人生の変化を機に、味わいがガラッと変わったりもします。人となりが表れる。ということは、私の酒にも人柄の優しさが表れているということかも(笑)」

根底には理論と哲学をしっかりと携えながらも、誰にでも楽しめる柔軟さと優しさを大切にする髙木さん。お酒だけでなく会話も知性とウイットに富み、まさに全方位“魔術師”の実力を感じさせます。その懐の深さは、これからも燗酒好きを増やし、唸らせ続けるでしょう。

項目髙木晋吾さんのスタイル
レシピの作り方90℃と60℃、2種類を使用。生酒は90℃→60℃の二段階で燗つけ、火入れの酒は60℃でゆっくりとつける。
燗つけ設備かんすけ
燗つけ用酒器銅製のちろり
温度計タニタ デジタル温度計(料理用)
イチオシの酒器(注ぐ用)土物の徳利
イチオシの酒器(飲用)土物の平盃(徳利、平盃ともに作家の一点物が多い)
鉄板ペアリング悦凱陣の無ろ過生酒×フルーツとブルーチーズのオーブン焼き

【シリーズ:お燗番の流儀】
第一回:熱燗DJ つけたろうさん

第二回:酒番・日本酒とうつわの案内人 多田正樹さん
第三回:「燗の美穂」店主 中村美穂さん
第四回:「板前料理とスパイス 燗味処」お燗番 長尾麻菜実さん
第五回:「えんじゃく、」店主 髙木晋吾さん

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