2021.03
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酒造り拠点を一カ所に集約し、さらなる進化を目指す - 長野県・大信州酒造
長野の銘酒「大信州」を醸す大信州酒造(松本市、田中隆一社長)。複数の酒蔵が合併して誕生したという経緯から、長野市(豊野蔵)で酒を造り、搾ったお酒を松本市(本社蔵)まで運んで瓶詰め、貯蔵そして出荷をしてきました。杜氏や蔵人が半年以上、蔵に寝泊まりして美酒造りに専念し、本社では搾ったお酒の管理(生酒の温度管理と最適な火入れなど)に特化するという役割分担を明確にすることで「大信州」のブランド価値を着実に高めてきました。
しかし、「さらなる高みを目指すには拠点を集約するのが不可欠」との田中隆一社長の決断で10年前から準備を進め、2020年夏に本社に新しい仕込み蔵が完成。今期から新蔵での造りが始まっています。巨額の投資をしてまで集約に踏み切った背景に迫りました。
これまでも進化を続けてきた、大信州酒造の歴史
取材のため訪問した1月、新しい仕込み蔵にはたくさんの醪が立ち、大信州酒造独自の酵母が活発に泡をたてて発酵していました。その様子を見ていた田中隆一社長の弟で製造担当の田中勝巳専務は「松本に造りの拠点を移して初めてのシーズン。昨年秋から造りを始めて、異なる環境でどんな酒に仕上がるかヒヤヒヤしていましたが、納得のいく酒になり、最近、ようやく落ち着いてきました」と安堵の表情を浮かべていました。
長野県内にある数件の酒蔵が合併して大信州酒造が誕生したのは終戦直後の1948(昭和23)年です。合併後も当初はそれぞれの蔵が独自に酒造りをしていましたが、高度成長期に日本酒の売り上げが伸び、蔵ごとに増産するのは効率が悪いと、1972年に長野市に醸造拠点(豊野蔵)を、松本市に瓶詰め&出荷拠点を集約することにしました。
その後、普通酒主体だった大信州酒造も1990年代に入ると、吟醸酒などの高付加価値商品を徐々に増やしていきます。これに対応して仕込みの小さな酒造りへとシフトするために、2001年ごろに豊野蔵に大きな投資を実施。その後、「無濾過原酒・一回火入れ」の、搾りたての良さを残した酒造りに注力し、美酒としての評判を確立しました。
そんな豊野蔵の歴史の中で課題だったのが仕込み水でした。豊野蔵を醸造拠点にした時は蔵に良質な水の湧く井戸がありましたが、その後水脈が変わり、再度井戸を掘っても良い水が出ない事態に。このため、地元の簡易水道を濾過して使ったものの、杜氏 からは「良い酒を造るにはもっと良い水が欲しい」との声があがり、その後は何年も大信州の酒造りに適した水を探し続けました。試行錯誤の末、松本市にある本社蔵の敷地に湧く水に着目。「将来、蔵を松本に移すのであれば、今から松本の水に慣れておいた方が良いのでは」という勝巳専務の提案で、10年ほど前に、豊野蔵で使う仕込み水のすべてを松本から豊野蔵までローリーで運ぶことにしました。
決断は正解だったようで、大信州の酒質はさらに安定するようになりました。本社蔵の水は3000m級の北アルプスに降った雪や雨が30~40年かけて浸透してくる水脈から引いた深さ55mの井戸から採れるもの。「硬度は52で、中軟水まではいかないが、ちょっと硬い程度で酒造りにはもってこいです。酒造りを指導している先生で、仕込み水を飲めば蔵の酒が美味しいかどうかがわかるという高名な方が、うちの仕込み水を飲んで即座に『大信州の酒は売れているに違いない』と断言されたことがあります」と隆一社長は話しています。
信州の気候と風土、蔵人の思いと技能を宿す、理想的な酒造りへ
こうして仕込み水をすべて松本から長野へ運ぶことになりましたが、その距離は100km。搾ったばかりのお酒もローリーで1時間かけて運ばれてくるので、「お酒に目に見えないストレスがかかっているかもしれない」(勝巳専務)。
豊野蔵が稼働した当初は杜氏も蔵人も出稼ぎ型の人ばかりだったので、蔵に寝泊まりするのが自然の成り行きでした。ところが、徐々に蔵人が社員になっていくと、半年間自宅の松本を離れて豊野蔵で寝泊まりするスタイルに。1990年代末から造りに加わり、その後醸造責任者となった勝巳専務は「寝室が仕込み部屋に隣り合っていて、醪のプチプチとした音が微かに聞こえる。そんな環境だと四六時中気が休まらない。僕は責任者だから仕方ないとして、蔵人たちがリフレッシュする機会が少ないことが気になるようになりました」と振り返ります。
そんな状況に隆一社長は、豊野でさらに設備を充実させるよりも、投資金額が膨らんでも松本本社に集約することが大信州酒造の将来には望ましい選択肢だと結論づけたのです。
蔵の敷地全体を俯瞰しながらグランドデザインを描き、精米棟や販売・事務所棟などを先行して建て直し、瓶詰めラインなども一新。さらに、新しく購入する木製道具は、木の香りがお酒に移らないように2年以上前に手当するなど用意周到に準備を進めました。2020年夏に完成した仕込み蔵は、鉄骨2階建てで延べ床面積は約1500㎡。原料処理、麹室、酒母室など、酒造り前半工程の作業場は2階、仕込み部屋と搾り部屋、搾ったお酒を瓶詰めする部屋などは1階に配置し、蔵人の作業動線にも細かく配慮しています。
勝巳専務自慢の部屋がリネン室。蔵で使用するすべての布を洗って乾燥させる部屋にはコインランドリーなどにある洗濯機が1台、乾燥機が2台置かれ、広々とした部屋には用途別に布が整然と並べられていました。「うちの醸造規模でこのリネン室の広さは珍しいと思います」と胸を張っていました。
今回の仕込み蔵を作るにあたっての隆一社長のこだわりは、「工業製品を作るための投資ではなく、信州松本の気候と風土、それに蔵人たちの思いと技能に裏打ちされた伝統工芸品、すなわち文化を背景とした理想的な酒を造ることができる環境を実現させる」ことだったそうです。
隆一社長「オールステンレスの麹室は温湿度管理では理想かもしれないが、木が湿度を吸ったり放出したりする日々の変化を蔵人たちが肌で感じ、考えながら作業に当たることが本来の酒造りではないかと思い、昔ながらのオール秋田杉にしました。麹造りの道具も木製で特注です」
隆一社長「仕込み部屋のタンクはすべて開放式にしたのも、建物の中とはいえ、北アルプスを間近にした松本盆地の空気に触れて、微妙な外気温や湿度の変化も醪に感じてほしいからです。蔵人が『今日は外がとても暖かいから、しっかり冷やしてあげるからな』と醪に声をかけることもイメージしています。いわばハウス栽培ではなく露地栽培の野菜作りですね。
使う米も長野県産のひとごこちと金紋錦を中心に使ってきましたが、2年前から全量を県産米に切り替えすべて契約栽培にしています。大信州酒造の理想である『天恵の美酒=洗練されたクリアな味わいと軽快で柔らかい口当たり、そしてデリシャスリンゴの香味』の完成に向けてさらに一歩近づけたいと思っています」
造りの責任者である勝巳専務は、「仕込み水だけでなく、原料処理にも松本の井戸水が制約なく使えるのが嬉しいです。豊野蔵の標高が332mに対してこちらは600m。標高差(気圧差)が蒸しに影響するのではないか心配で、こちらに移転して、蒸しの時間を延長して90分蒸しにしました。搾ったお酒を運ぶ距離も短くし、ポンプもより優しいタイプに。麹室も広くなったので理想的なタイミングで室から出せるようになりました。私も蔵人も自宅から通えるようになって、リフレッシュできるようになり、酒造りにもいい影響があると思っています」と手ごたえを感じているようでした。
飲み手と直接つながり、「大信州のファンを増やす」試みも
新型コロナウイルスの感染拡大は大信州酒造のお酒の売り上げにも影響があったそうですが、隆一社長はコロナ禍のおかげで新たに気づいたことがあったと語ります。
「うちに限りませんが、特約店経由のみでお酒を提供する限定流通方式は、我々造り手の想いを特約店や料飲店が飲み手に伝えてくれます。ある種、役割分担ができているともいえますが、今回のコロナ禍で料飲店が休業したり、営業時間短縮して、お酒が売れなくなると共に、飲み手の声も我々に伝わりにくくなりました。もちろん、お酒を売ることはこれからも任せるにしても、大信州のファンを増やす努力は我々も自らやらなければならない時代が来ている、と確信しました」。
こうして大信州酒造は今春、新たな会員制度を始めます。年会費が税別4万円の「手いっぱい会員」になると、年二回特別仕込みのお酒4合を2本ずつ受け取れるほか、限定品を特別価格で購入できます。コロナ禍後に開催する試飲会や酒米の田植え&稲刈り体験会、特別酒蔵見学などに参加する特典も与えられるのだそうです。さらに、税別7万円の「香月会員」は大信州酒造の最高級品シリーズ「香月」のビンテージ品を試飲できる予定。「会員のために特別なお酒も用意しますが、一番の目的はいろいろなイベントを通しての飲み手と私達蔵の人間のふれあいです。物理的にも精神的にも蔵を身近に感じてもらい、大信州の熱心なサポーターになっていただきたいと考えています」と勝巳専務は強調していました。 初年度は「手いっぱい会員」を200人、「香月会員」を50人集めるのが目標です。酒蔵が直接、飲み手とつながる新しい試みとして注目されそうです。
酒蔵情報
大信州酒造
住所:長野県松本市島立2380
電話番号:0263-47-0895
創業:1880(明治13)年(合併前の原田屋酒造店)
社長:田中隆一
杜氏(専務製造担当):田中勝巳
Webサイト:http://www.daishinsyu.com/
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