定番酒への愛を熱く語る - 「黒松剣菱」剣菱酒造(兵庫県)

2023.11

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定番酒への愛を熱く語る - 「黒松剣菱」剣菱酒造(兵庫県)

酒スト編集部  |  定番酒への愛を熱く語る

500年もの間、飲み手に愛され続けてきた銘酒「剣菱」。日本酒ファンの方でも、「よく見かけるし、実は美味しいと聞くけど、ちゃんと飲んだことはない」という人はいるのではないでしょうか。

SAKEジャーナリストとして、当メディアを含む国内外の企業・媒体向けに執筆活動をおこなうかたわら、熱心な剣菱ファンでもある木村咲貴さんが、代表商品の1つ「黒松剣菱」の魅力を語ってくれました。

飲めば飲むほど、知れば知るほど好きになる

未成年を卒業してまもなく日本酒を好きになり、大学生のころから一人で全国各地を飲み歩いていたわたしの日本酒歴はかれこれ15年ほど。しかし 「剣菱」ファンとしての歴史は比較的浅く、そのデビューは29歳のころ、アメリカのサンフランシスコに住んでいたときのことでした。

28歳でアメリカに留学し、カリフォルニア州の大学で1年間ジャーナリズムの資格証明プログラムを履修したあとは、OPT(学生ビザで働ける期間)を利用して、サンフランシスコの酒販店「True Sake」で働きはじめました。 「True Sake」は2002年にオープンしたアメリカ初の日本酒専門店で、カリフォルニア州中の流通業者と取引があり、取り扱い商品はゆうに300種類を超えます。

ご存知の人も多いと思いますが、日本酒は海外で買うと、高いです。輸送費用や関税、流通業者のマージンが発生するため、日本での販売価格の2、3倍の値段がつくことはザラ。高額な留学費用・生活費用で貯金の8割ほどを使い果たしてしまった貧乏学生にとっては、滅多に買えない贅沢品でした。

しかし「True Sake」で働き始めてからは、オーナーのボー・ティムケン(世界的コンテストであるInternational Wine ChallengeのSAKE部門の共同創設者でもあります)が 「勉強も兼ねて」と、週に一本好きな日本酒を持って帰らせてくれたのです。

週に一本、じっくりと一種類の日本酒と向き合いながら、わたしの日本酒に対する考え方は少しずつ変化していきました。例えば、初めはフルーティで美味しいと感じていた吟醸酒が、飲み重ねると重たく感じられてしまう。地方の小さな酒蔵こそこだわりが強いと思っていたけれど、大手酒造メーカーのお酒は驚くほど細部にこだわっている。日本では季節限定酒を追いかけるのに必死だったけれど、レギュラー商品にはレギュラーたる所以がある、などなど。

そんなある日、今日はどれを持ち帰ろうかと迷っていたところで、マネージャーから「サキはこれが好きだと思うよ」と勧められたのが、「黒松剣菱」でした。

日本にいたころからもちろん存在は知っており(「剣菱」はスーパーマーケットやコンビニでも見かけるのです)、特に印象に残っているのは、ウン年前にお世話になっていたスナックで、ママが「いちばん好きな日本酒」として常に一升瓶をストックしていたこと。もっとも、未熟だったわたしは、「スーパーで買える日本酒よりも、もっと美味しいお酒があるのに」などと思い、口をつけようともしなかったのです。

渡米して“日本酒観”の変化した今、このお酒をどう感じるのだろう? その晩、ワクワクしながら早速「黒松剣菱」を開栓。ひと口目。こんがりとした、少しクセのある味わいが舌に広がりました。マネージャーの「サキはこれが好きだと思うよ」という言葉を思い出しながら、果たしてそうだろうか? と首を傾げます。

しかし、そこから驚くことが起きたのです。なぜか、飲めば飲むほど、だんだん美味しくなってくる。ボーは杯を重ねるごとに美味しくなるお酒を「サード・シッパー(third sipper=三杯目で美味しくなるお酒)」と呼んでいましたが、剣菱はまさにそのもの。飲み重ねるほど疲れてしまう華やかなお酒とは真逆の現象が起きたのです。

剣菱は自分の体のバロメーター

五合瓶が空になるころには剣菱にどハマりしてしまい、グラスを傾けながら情報を調べるうちに、見事に沼に転落、ズブズブと沈んでいきました。

剣菱は、500年以上の歴史を持つ日本最古の銘柄とあって、赤穂浪士や山内容堂など、有名な歴史上の人物たちが飲んできたエピソードがあり、歌川広重などの名画にも描かれている。王道とは違う造り方をしており、時には科学的に説明がしきれないこともやってのけてしまう。常温でほったらかすとむしろ美味しくなってゆく。滅びゆく木工の文化を残すため、最後の一社にいた職人さんを雇い、自社の中で木製の伝統的な酒造道具を生産できるシステムを構築した、などなど。

何よりもカッコいいのが、その社訓のひとつ「止まった時計でいろ」です。時代や流行に合わせて酒質を変えることなく、絶えずファンの求める味わいを保つというポリシーを表すフレーズ。日本酒には、「今年の造りはこんな味」とその時々の変化を追いかける楽しみ方ももちろんあるのですが、 「いつ飲んでも期待したところにボールを投げてくれる」というのが剣菱の魅力なのです。

また、味覚というのは、飲み手の体調によって微妙に変化します。剣菱は品質が安定しているので、「いつもよりも刺激的に感じるな」と思えば、「ちょっと体調が良くないのかもしれない」と不調に気づかせてもらえるし、「今晩はとびきり美味しいな」と感じれば、最高に気分が良くなる。ずっと変わらないでいてくれる剣菱は、飲み手自身のコンディションを測るバロメーターになってくれます。

さらに、剣菱は「どんな料理とも(100点満点中)70点以上の相性になる」ことを目指しており、さっぱりとした魚料理からコッテリとした肉料理、正統派の和食から複雑なハーブの香りがするエスニック料理まで、割と何にでも合ってしまいます。わたしも普段はその日の晩酌に合わせてお酒を選びますが、仕事でクタクタになった夜は、迷いたくも失敗したくもないからと剣菱をチョイス。日本酒の味わいのバラエティが広がった昨今ですが、どんなおかずと合わせても大きく外れないお酒というのは、食いしん坊にとっては極めてありがたい存在です。

このように剣菱に異様な愛着を燃やす著者ですが、実は、誰にでもおすすめするというわけではありません。というのも、自分が長くこのお酒を避け、ひと口目に首を傾げたように、必ずしも万人に受け入れられるような味わいではないと理解しているからです。

日本酒全般が大好きなわたしにとって、剣菱は味わいから哲学、用途に至るまで、日本酒に求めているすべてを凝縮したようなお酒です。でも、ほかの誰かにとっては、違う日本酒がその役割を果たすのだと思っています。ただ、ワンチャン仲間が増えたらうれしいなという気持ちで、いかに剣菱が好きか、混じり気のない自分自身の愛を語り続けています。

いつ飲んでも、どこで飲んでも変わらない味

2020年冬にアメリカから日本へ帰国しましたが、その翌年の夏、久しぶりにアメリカを訪れ、現地で友人たちと黒松剣菱を味わいました。日本酒は、たとえ同じ銘柄でも、輸送コンディションや気候の影響により、日本で飲むのとアメリカで飲むのとでは味が多少変わってしまうことがよくあります。しかし、そのとき飲んだ黒松剣菱の味は、わたしが日本で愛飲し続けたその味であり、かつてサンフランシスコで恋に落ちた味そのものでした。

わたしは世界に日本酒を伝えるメディア活動をおこなっていますが、海を超えて、日本酒が世界中の人々に愛される未来を作るためには、乗り越えなければならない課題がたくさんあると感じています。造り手や発信者が「このお酒はこんな味です」と表現したものが、現地の人々に異なって感じられると、齟齬が生まれてしまう。届いた先の消費者がどのようにそのお酒の味を感じるのか、異なる視点を知り、そこから逆算した発信をしていくことが、これから先、求められています。

最後に、わたしが日本酒を愛する理由のひとつに、一人の人間が生きられない長い時間の流れを、お酒は感じさせてくれるという点が挙げられます。歌川広重の描いた絵を眺めながら、わたしの生きられなかった時代にも、この味が楽しまれていたことを知る。アメリカで飲んでも、日本酒で飲んでも変わらず、500年前から同じ味を守り続ける剣菱というお酒は、日本酒というお酒が500年も先の未来まで続くのではないかという希望を与えてくれるのです。

木村咲貴
SAKEジャーナリスト/編集者/ライター
カリフォルニア大学ロサンゼルス校にてJournalism Certificate修得の後、アメリカ初のSAKE専門店「True Sake」に勤務。海外向け日本酒メディアのディレクターを務めるほか、書籍・雑誌・WEBメディアの編集・執筆に携わる。専門は海外流通・海外ローカル酒蔵。
SAKE Streetメディアでの執筆記事一覧
Twitter: @sakeschi
Website: http://sakekimura.com/

【木村咲貴さんが執筆した剣菱酒造の記事】

【シリーズ:定番酒への愛を熱く語る】
料理家・酒屋「発酵室よはく」店主 真野遥:「丹澤山 麗峰」川西屋酒造店(神奈川県)

会社員 河島泰斗(わっしー):「群馬泉 山廃本醸造」島岡酒造(群馬県)

「定番酒への愛を熱く語る」シリーズの記事一覧はコチラ

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