10回連続金賞を達成。「酒販店が大事に扱う酒」を目指して - 広島県・金光酒造(賀茂金秀)

2025.12

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10回連続金賞を達成。「酒販店が大事に扱う酒」を目指して - 広島県・金光酒造(賀茂金秀)

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

広島県東広島市の金光(かねみつ)酒造で「賀茂金秀」と「桜吹雪」を造る蔵元杜氏の金光秀起さんは、全国新酒鑑評会で今年(2024BY)10回連続金賞の快挙を果たしました。地元の酒造協会の品評会でも2年連続トップに輝き、広島を代表する名酒蔵の一つとしての評価を固めています。

蔵元杜氏になって20年余り。ここまでたどりつけたのは、安酒と揶揄され、酒販店に冷遇された経験を糧に、「多くの飲み手に愛され、酒販店に大事に扱ってもらえる酒」をゴールに据え、ひたむきに酒造りに取り組んできた金光さんの意地と情熱によるものでした。

酒販店からの冷たい扱いに衝撃

1975年生まれの金光さんは二人の姉を持つ蔵元の長男でしたが、小さい頃は、「冬場にたくさんの年配の人たち(蔵人)がやってきても、何をしているのか全然興味がなかった」のだそうです。しかし、思春期に入り、自分の将来を考えなければならない年齢になった頃には、「余り深く考えるたちではなかった」こともあって、東京農大の醸造学科に進み、卒業したらいずれ後を継ぐという気持ちを固めていました。大学卒業後は他の酒蔵での修行も考えましたが、父から「自分は高齢だから、早く帰ってきてほしい」と言われ、結局、卒業してそのまま蔵で働き始めます。

「最初はアルバイト気分だった」という金光さんは、分析などの酒造りの手伝いをしながら、県内の酒販店巡りを始めました。金光酒造は1880(明治13)年創業。「桜吹雪」を主力銘柄にして、戦後の高度成長期には1000石ほどを造り、地元向けに普通酒を販売していました。 オイルショック後は日本酒の需要減退と普通酒の価格競争にさらされ、コストを下げるために自動化機械を入れるか、他の蔵から酒を買う桶買いに切り替えるかの決断に迫られます。金光さんの父は、米を効率的に溶かして原価を引き下げることができる液化仕込みの機械の導入に1994年に踏み切りました。

人を減らしても酒の量を確保できるようになりましたが、引き続き主戦場は廉価の普通酒でした。そんな経営環境の下、1998年に蔵に戻ってきた金光さんは、問屋と一緒に酒販店を巡った際にショックを受けました。

酒販店のうちの酒に対する接し方が冷たかったんです。自動化機械を一部には使ってはいるものの、大事に造って、それなりの酒に仕上げているのに、店での酒の管理はいい加減だし、日本酒に対する知識が足りない人もいた。日光の当たる場所に置かれていたりもするのに、それをどんどん返品してくる。嫌になりました」

肉の販売店が売れ残った肉を「腐ったから取り替えろ」と言われているような悲しい気分になったと話す金光さん。この経験が、「自分たちが造った酒を大事に扱ってくれる酒販店と取引したい」と熱望するきっかけになりました。

地酒専門店との取引を求め、地元の酒販店の支援を得る

その頃、グルメ系の月刊誌が日本酒の特集を組み、それを手に取った金光さんは、日本酒をこよなく愛して、大事に販売しようとしている地酒専門店があることを知り、「自分が求めている酒販店はこれだ」と確信。彼らに売り込むことを決意した金光さんは、「それにはおいしい酒を造らなければならない。機械に頼らず、手造りでレベルの高い酒を造ることが先決だ」 と考え、自らが酒造りの先頭に立つことを決めます。 酒造りの教本を片手に、蔵に来ていた杜氏から基礎の指導を受け、広島県内の酒蔵の杜氏からアドバイスをもらううちに、 「美味しい酒を造るにはすべての基本を愚直に守って、一切手を抜かないことが肝心だ」と理解しました。

そして2002年に、自身が手掛けた初めての酒ができました。それまで地酒専門店に売ったことがないため、売り込み方がわからず、「月刊誌に乗っていた販売店のリストをもとに、すべての店に手紙を送ろうと、封筒を大量に購入して、宛先まで書きました。でも、リストの中に広島県内の地酒販売店があるのを知って、それじゃあ、お酒を持って挨拶に行ってみようと考えました」。

その酒販店主から「お酒の味はまずまずだけど、普通酒主体の蔵の息子が特定名称酒造りに初めて挑んだと考えれば、悪くない。頑張っているんだから、応援するよ」という反応をもらい、翌2003年から本格的に金光さんが目指す酒造りを始動させることにしました。

酒質向上と酒販店開拓の両輪が必要

「桜吹雪」は県内では安い普通酒というイメージが強いため、別の銘柄を立てようと、「賀茂金秀」という自分の名前を組み込んだ新しい銘柄をデビューさせた金光さん。自分の力で美酒を造るという姿勢を強調し、退路を断つ決断の表れでした。

普通酒しか造ってこなかった蔵が、吟醸造りへ転換するのは並大抵のことではありません。米に狙った割合の水を吸わせ、理想的に蒸す。それからの丁寧な麹造り。実際に造った麹を国税局の先生に見てもらうと、「40%まで磨いた米を、普通酒用の造り方で麹にしたような印象」と言われたそうです。

「ショックでした。でも、じゃあ、具体的にどうすればいいかは指導してくれなかったんです。結局は、教本を見ながら、理想の突き破精ができるまでトライアンドエラーでした。それでも、なんとか突き破精っぽくなってきた時はうれしかったですね」

このころは、いまほど日本酒の酒質向上競争が激しくなく、質のいい酒を造ると多くの酒販店が関心を持ってくれた時代でした。金光さんのお酒も、指導を仰いだアドバイザーが多くの酒販店を紹介してくれて、「賀茂金秀」を扱う酒販店は1年目から十数件に。仕込み3本だけだったこともあり、わずか2、3カ月で売り切れました。

気をよくした金光さんは翌年、生産量を倍増します。ところが、売れ行きは伸びません。

「酒質は前年よりもよくなったのに、注文も増えないし、新規の取引先もない。明らかにアドバイザーの人脈で無理に販路を作ったことだと実感しました。造ったお酒を安定的に売っていくには、酒質の向上と酒販店との人的つながり拡大の両輪がバランスよく回らなければならないことを痛感しました」

以後、金光さんは、オフシーズンには全国の酒販店をせっせと行脚するように。新たに知り合った首都圏の酒販店と親しくなり、その店主の紹介で次の酒販店と出会うといういい意味での循環ができて、着実に酒販店の「賀茂金秀」ファンを増やしていきました。

酒質向上に邁進し、10回連続金賞の金字塔へ

「地酒専門店に大事に扱ってもらえる酒」という目標は実現に向かって動き出しました。次の課題は同業他社や日本酒の飲み手からの安酒という評判の一掃でした。

「賀茂金秀」デビューの段階で、金光酒造の全国新酒鑑評会での成績はたまに入賞する程度で、金賞を取ったことはありませんでした。さらに、所属する西条酒造協会が主催して、4月に新酒の出来栄えを競う「西条新酒品評会」では長い間、出品されたお酒の最下位に甘んじることが多かったといいます。

「だから、金賞と1位獲得を最終目標に据えました」と金光さん。その熱い想いを汲んだ父が2005年に麹室を一新してくれたのに加え、その他の細かな設備投資も重ね、より美味しい酒造りに邁進していきました。

「3年経って、酒造りがなんとなくわかるようになりました。自分のスタイルが確立したのは6年目くらいですね」

一般的に鑑評会で金賞を取るには山田錦を使うことが近道だと言われます。しかし、金光さんは「地酒蔵なんだから、地元広島のお米で挑戦したい。ずっと千本錦で挑戦する」と決めていました。そして、ついに、2008BYの出品酒が蔵の歴史始まって初めての金賞に。翌年度も金賞になり、さらにこの年に西条清酒品評会で初めて1位を獲得しました。

「蔵のイメージを変えることができて、心から喜びました」と微笑む金光さん。その後、3年連続して金賞を受賞します、その次は酵母を変えたり、出品酒の選び方を失敗したりと模索したことで、2回受賞をのがしてしまいました。

「やっぱり、出品酒については、基本の手法を変えてはならないと痛感しました。時代の経過による審査の変化の傾向を見て、ごくごく一部を修正するだけで、あとは何も変えずにやってきました。再現性が高まり、毎年いけるのではないかと手ごたえを感じる年が増えていきました

その結果、2024BYで10回連続となる金賞を受賞し、西条新酒品評会では2年連続1位を果たしました。

金賞の技術を市販酒に落とし込む

出品酒の酒造りを市販酒にフィードバックすることについて、金光さんは次のように話しています。

「出品酒と市販酒の造りはもちろんまったく同じではありませんが、大事なことは常に出品酒と同じようにあれこれ考えながら工夫をすることです。常にこれでいいのか、もっと良くするにはどう修正するべきかを考えるように、自分だけでなく蔵人全員が意識を高めることが市販酒改善の鍵となります。

このため、同じスペックのお酒を連続して造るのではなく、シーズンに1本しか造らないような酒を仕込み期間に随所にはめ込んで、マンネリに陥らないようにしています。結果として、蔵人はいつも考えながら仕事をしてくれるようになって、市販酒全体のレベルがずっと上がってきました」

金光さんいわく、「賀茂金秀」の目指す味わいは、「甘さに頼らず、味わいは軽くて、喉を通った後の余韻がいかに綺麗であるかを最も重視しています」とのことです。

10回連続金賞と西条地区の連覇で目標を達成した金光酒造は、酒の売上もコロナ禍の打撃も少なく、経営はまずまず順調です。また、酒質に良い影響があると判断すれば、設備投資もためらわず実施しています。最近も、最新の放冷機や瓶燗機、分析器などを導入し、醪の対流改善につながる新しい仕込みタンクへの切り替えも進めています。

「全国新酒鑑評会の出品酒は大吟醸から純米大吟醸に切り替え、酵母も香りを抑えたものに変えて、より難易度が高い条件で金賞に挑戦します。また、これまで以上に多彩な市販酒や、地域やインバウンド需要を巻き込んだ体験型酒造りができる、小仕込みのマイクロブリュワリー的な設備も蔵に作りたいですね」と夢を語る金光さん。安酒のイメージをすっかり払拭し、地元の銘酒として目標に突き進んでいます。

酒蔵情報

金光酒造
住所:広島県東広島市黒瀬町乃美尾1364-2
電話番号:0823-82-2006
創業:1880年
社長&杜氏:金光秀起
Webサイト:https://www.kamokin.com

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