
2025.09
24
日本酒の「四季醸造」って?- 一年中酒造りをするようになった歴史、メリット・デメリットについて
日本酒造りがおこなわれる季節として、ほとんどの人が冬を思い浮かべるのではないでしょうか。秋に収穫した米を使い、雑菌の繁殖が少ない冬季に醸造することを「寒造り」といいます。
一方で、年間を通して酒造りをすることは「四季醸造」と呼ばれています。これは、近代的な冷蔵設備の登場によって可能になった方法ですが、最近では中小規模の酒蔵でも、この方法を採用するところが徐々に増えてきています。
今回の記事では、四季醸造の歴史と、そのメリットや課題について紹介します。
四季醸造の歴史
現代の四季醸造を考える前に、なぜ寒造りが主流となったのか、なぜ四季醸造が行われるようになったのか、歴史をひも解いてみましょう。
[室町時代〜江戸時代] 寒造り一本化の背景
もともと、醸造時期は多様だった
歴史を遡っていくと、もともと酒造りをおこなう時期は冬季に限定されてはいませんでした。
室町幕府全盛期における酒造技術の記録であり、さまざまな酒の造り方が記載されている『御酒之日記(ごしゅのにっき)』という資料があります。その中で紹介されている「菩提泉」は、醸造時期が明記されていないものの、夏季における造りの注意事項が記載されていることから、温暖な秋の早い時期あるいは春や夏にかけて造られていたと考えられています。この菩提泉は、「菩提酛」として現代に残っており、当時のように暖かい時期に菩提酛で酒を仕込む蔵もあります。
また、江戸時代後期に刊行された『日本山海名産図会』(1799)には、菩提泉のほかにも、立秋から秋の末までに造る「新酒」、立冬になってから造る「新酒口」、寒造りの前に造られる「寒前酒」、新酒・寒前酒の間に造る「間酒」、2月の節より3月の節までに造る「春酒」など、造りの時期によって酒が分類されていたことが紹介されています。
寒造りの確立
このように、さまざまな時期に造られていた酒は、江戸時代になると徐々にその多様性を失っていきます。
江戸時代前期、酒の一大市場であった江戸で競争優位を確立していたのは「諸白(もろはく)」と呼ばれる麹米と掛け米の両方に精白米を用いた酒でした。安土桃山時代に奈良の寺院および町方醸造家によって生み出された諸白は、南都諸白というブランドで定着し、その製法も全国に普及していきます。
それまでの酒と同様、南都諸白もさまざまな時期に造られていましたが、中でも寒造りが最も適した時期として高く評価されていました。
17世紀末になると、伊丹(現在の兵庫県伊丹市)で造られる伊丹諸白が江戸で人気を博します。その酒質の良さから1740年(元文5年)には将軍家の御膳酒となるほどでした。
伊丹諸白が評価されるに至った理由の一つとしてあげられるのが、寒造りの仕込み技術の開発と量産化でした。寒中には発酵に時間を要し、仕込み日数が長期化してしまうという問題がありましたが、伊丹諸白では、これを解消する製法を開発。寒造りにおける酒母の製法は、今日の生酛として引き継がれています。また、蔵人と呼ばれる季節労働者を組織化することで作業能率も向上し、寒造りの酒を大量に醸造できるようになりました。
幕府の酒造統制令と「灘酒」の台頭
江戸時代、酒造業者を苦しめたのが江戸幕府による酒造統制令でした。幕府は、米が凶作の場合は減醸令と呼ばれる制限令を、豊作の場合は勝手造りと呼ばれる規制緩和政策を発令することで、米相場の安定を図っていました。醸造時期に関する統制令としては、1670年(寛文10年)に秋造りの酒を禁止にするものや、1673年(寛文13年)には寒造り以外の醸造を禁止するものなどがあったとされています。こうした幕府による統制は酒造業や名醸地の盛衰に大きな影響を与えました。
そんな中、1754年(宝暦4年)に豊作による米価下落の対応策として、勝手造りの令が出されました。このとき幕府は、酒造量の復活を認めただけでなく、休造者や新規営業者まで、誰でも開業できるように許可を出します。これが、新興の酒造業の台頭を招き、今日でも名醸地として知られる灘の酒が広く知られる契機となりました。
灘酒の基本的な醸造方法自体は、南都諸白や伊丹諸白の流れを汲んだものでしたが、大きな違いとして、寒造りの一本化と醸造期間の短縮が実現したことが挙げられます。
伊丹諸白までは、寒造り以外にも季節に応じた複数の酒を醸造していました。そのため、蔵人集団は異なる段階の仕込みを複数同時に行う必要があり、効率性という点では不十分なところがありました。
それに対し灘酒の寒造りでは、1年の酒造りに必要な酛を冬至前後に全て仕込み、小寒から節分までの時期に醪を仕込むなど、寒冷期に集中して仕込みを行うことで、雑菌の繁殖を抑えて腐造のリスクを減らし、高品質な酒を醸造することができるようになりました。またこのころに登場した水車精米で、足踏精米をはるかに凌ぐ量の原料米の供給が実現したことも、大量生産の実現につながりました。
伊丹や灘といった「上方」から江戸にもたらされた酒は「下り酒」として重宝され、年あたり100万樽もの酒が消費されていたと言われています。これは、江戸の酒の8割を占める量でした。このように醸造技術の発展や蔵人集団の組織化、器具の発達と、それが生んだ評判により、酒造りは寒造りに集約され、定着していきました。
[明治時代後期〜昭和前期] 目指される四季醸造の実現
国立醸造試験所での研究
明治時代になると、寒造りに一本化されていた酒造りにも変化の兆しが現れます。
1904年(明治37年)、明治政府は大蔵省の施設として国立醸造試験所を設立しました。日本酒の品質、醸造方法を改良することが設立の主な目的で、趣意書には、第一に「清酒醸造の方法を改良すること」、第二に「四季醸造の途を開くこと」と記載があります。
明治維新以降の目まぐるしい産業革命の中、技師による酒造の現地指導や、蔵人への講習など、積極的な酒造業育成が行われましたが、その背景には、政府の税収の多くを占めていた酒税の増収をする狙いもありました。
四季醸造を実現するため、試験工場内には最新式の「蒸気動力リンデ冷凍機」という冷却機が備え付けられており、発酵室や酒母室を冷却することができました。実際に1905年(明治38年)と1906年(明治39年)に夏季醸造を行った記録も残されており、夏でも安全に酒が作れると報告されていますが、冬季醸造された酒に比べて品質が劣っていたとの声もあったようです。
試験所以外でも、一部の篤志家が四季醸造用の冷蔵庫を設備し、夏季に醸造をしたという実績はあるものの、四季醸造の研究は大きな進歩もなく、いつの間にか姿を消していきました。当時、日本国内では夏季醸造や四季醸造の実現が差し迫った問題ではなかったためだと考えられています。
海外中心の事例構築と国内における頓挫
日本に先立ち、早期に四季醸造が実践されたのはハワイや台湾といった海外の醸造所でした。
1908年(明治41年)に広島県出身の輸入商・住田多二郎がハワイに設立したホノルル日本酒醸造会社では、大正初期にはすでに四季醸造での酒造りを開始。工場は断熱のため石造りで、アンモニア圧縮機を使用した冷房設備も設置され、年間約1200kLを醸造していました。さらに1933年(昭和8年)にハワイでの禁酒法が廃止された後には、当時最新鋭の設備を有するコンクリート造の工場を再建し、その生産力は年間1800kLにも達しました。
また、日清戦争の結果、日本の支配下に置かれた台湾では、1913年(大正2年)に資産家・安部幸之助が台湾における日本酒の四季醸造を目的として日本芳醸社を設立。翌年には冷却機の試運転に着手し、好成績を得て、日本酒が売り出されています。
このようにハワイや台湾での四季醸造が実践されていたものの、品質は日本の本格的寒造りの酒には遠く及ばなかったようです。
日本国内でも、大正の終わり頃から昭和のはじめにかけて、広島県呉市の株式会社三宅本店や大倉恒吉商店(現 月桂冠株式会社)などの大手メーカーが「四季醸造蔵」と呼ばれる酒蔵の建設に乗り出します。しかし、いずれも年間を通じての醸造はしておらず、期間を冬季よりも多少長く造っていた程度でした。
そして1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると、酒造業界も次第に大幅な減産時代を迎え、日本国内における四季醸造の実現は夢と化してしまいました。
[昭和後期〜] 四季醸造の確立
月桂冠による四季醸造蔵の実現
戦後の混乱がおさまった昭和30年ごろから、日本酒の醸造量は年々増大し、日本酒の急激な増産が余儀なくされました。
しかし、戦前と比べると醸造所の数は減り、残った蔵も一部を除いて老朽化が進行。加えて、経済全般の急激な成長と構造変化によって、明治初期には全就業人口の80%を超過していた農林水産業従事者は減少の一途を辿り、酒蔵の労働力を担っていた出稼ぎ労働者も近い将来逼迫することがきわめて明確な状態となっていました。
また、増産に対応するために設備投資をしたとしても、従来通りの冬季醸造に限っていたのではとても採算がとれない経済情勢となっていたことから、四季醸造の実現が急がれることになりました。
そのような中、1961年(昭和36年)月桂冠が、ついに四季醸造蔵を完成させました。
麹造りの工程において、「大倉式立体二室自動製麹装置」を開発して自動化を実現。所要時間を従来の三分の二に短縮させ、30時間から35時間で清潔に麹を製造できるようになりました。蒸しの工程では、「大倉式連続蒸米機」を完成させ、均一な蒸米ができるようになり、できた蒸米はコンベアーシステムで次の工程への移動もスムーズに。そして、醪搾りの工程では、「大倉式自動圧濾圧搾機」の開発により、圧搾時間の大幅短縮を実現させます。
このように冷房設備の導入だけでなく、醸造用機械の自動化により省力化が進んだことで、一気に四季醸造の導入が進みます。月桂冠の成功を皮切りに、灘の大手清酒製造業者も相次いで四季醸造蔵を完成させていきました。このように、四季醸造は高度成長期における機械化の集大成ともいえます。
四季醸造のメリットと課題
現代における四季醸造のメリットは、戦後に四季醸造を目指した理由とほとんど変わっていません。
まず、四季醸造の大きなメリットとして挙げられるのが、資金の回転がよくなることです。寒造りでは、一度に年間の製造費を投入する必要がありますが、四季醸造ではコストの発生を、年間を通じてある程度平準化することが可能になります。毎年秋季から冬季に、原料や製造人員にかける大きな費用を借入で賄っていた場合は、その負担をある程度軽減することもできます。
また、同じ設備でも、年に複数回の仕込みをおこなえば年間の生産量を増やすことができるため、年間を通じて製造・供給がしやすくなります。
同様に、生産量を維持したまま、少量ずつ仕込むことも可能なため、蔵の規模が小さくても生産しやすくなることや、種類を増やすことができるというのも利点といえます。
一方で、四季醸造には課題も残っています。
まず挙げられるのが、必要電力の増加です。品温を保つためにエアコンや冷蔵庫を設置し、年中稼働させておく必要があるため、著しく電気代が高騰します。近年は環境に配慮し、サステナブル(持続可能)な社会の実現を目指す意識が高まるにつれて、こうした電力の消費を減らしていきたいという考え方もあります。
また、労働・雇用を取り巻く変化への対応の難しさもあります。寒造りにおいては、造りのある時期に集中して働いてもらうなど、年単位の変形労働時間制を採用できていましたが、四季醸造では年間を通じて早朝や深夜の勤務が発生したり、法律で定められた休日の確保が難しくなるなどの問題が発生します。
人員削減や効率化のためには、醸造機械を導入し、自動化を進める必要がありますが、設備投資には多額の費用が必要となります。これから四季醸造を始める蔵にとっては、こうした初期費用が負担になります。
従業員の育成にも課題が残っています。四季醸造においては、通年で自社の酒造技術者を雇用する必要がありますが、杜氏と呼ばれる醸造責任者として働くには、豊富な知識と経験を必要とします。経験者を採用することも可能ですが、社員からの登用を目指す場合は、時間をかけて育成をする必要があります。
四季醸造の現在
では、現代において、どれほどの蔵が四季醸造を採用しているのでしょうか。
2017年(平成29年)の調査では、1115蔵のうち、76蔵が四季醸造をしていると回答しています。昨今は多くの蔵が製造規模を縮小する傾向がありますが、小規模酒蔵での四季醸造採用例もわずかながら増えているようです。
これは、出稼ぎ労働者の廃止や製造要員の社員化などの働き方の変化に加え、吟醸酒などの仕込みサイズが小さい商品や、鮮度を高いまま出荷する必要のある生酒などの品質向上や需要増に対応するためでもあります。
また、四季醸造の採用は、最新の冷蔵管理可能な設備の開発・普及にも後押しされています。醸造用機械の自動化や省力化、タンク内の温度が可能なサーマルタンクの普及、搾り機のある部屋の冷蔵化などが役立てられています。
しかしながら、蔵の老朽化や資金面の問題で設備の導入ができない場合や、あえて原点回帰の酒造りを目指す場合など、さまざまな理由から寒造りのみで醸造を続けている蔵も多いというのが現状です。
時代のニーズによって変化する醸造時期
醸造時期が寒造りに集約された流れや四季醸造が確立されるまでの歴史を見ると、いずれもその時代の酒造技術や器具を活かして高品質な日本酒を増産するために醸造時期に変化があったことがうかがえます。
今日においては、小規模な蔵でも経営がしやすい、消費者の多様化するニーズに対応しやすい醸造方法として、少しずつ四季醸造を採用する蔵が増えています。また、今後日本酒のさらなる輸出増や、海外醸造などの拡大においても検討される醸造方法であると考えられます。
一方で、寒造りの際は必要のなかった、空調設備や冷蔵設備に使われる電力・エネルギーを大量に消費してしまうなど、現代において目指されているサステナブルな製法ではないことも大きな課題です。
こうした課題を解決するため、一部の電力を再生可能エネルギーにするなど、電力源を切り替える蔵も増えてきました。まだまだ道半ばですが、生産者にも、消費者にも、環境にもうれしい四季醸造がおこなわれることを願うばかりです。
参考資料
- 小野善生「清酒製造業における革新Ⅰ」(彦根論叢, 2021)
- 長倉保「元禄期の江戸積酒造業(その1)」(日本釀造協會雜誌, 68巻10号, 1973)
- 小野善生「清酒製造業における革新Ⅱ」(滋賀大学経済学部研究年報 Vol.29, 2022)
- 栗山一秀「日本酒醸造の近代化」(化学と生物, 22巻9号, 1984)
- 鈴木明治「四季醸造への前進 (一)」(日本釀造協會雜誌, 56巻10号, 1961)
- 小野善生「清酒製造業における革新Ⅳ」(滋賀大学経済学部研究年報Vol.31, 2024)
- 吉田元『近代日本の酒造り−美酒探求の技術史』(岩波書店, 2013)
- 亀田芳雄「中小蔵の四季醸造」(日本醸造協会誌, 92巻1号, 1997)
- 国税庁課税部酒税課「清酒製造業の概況(平成30年度調査分)」(2020)
- 国税庁「醸造試験所の創設」(閲覧日:2025年2月22日)
- 華山1914 ”Introduction and Chronology”(閲覧日:2025年2月22日)
- 月桂冠株式会社「四季醸造と新規醸造法の活用 海外生産への技術移転、そして酒文化を世界に(現代)」(閲覧日:2025年2月22日)
Pickup記事
2021.10.27
話題の記事
人気の記事
2020.06.10
最新の記事
2025.09.19
2025.09.09
2025.09.02
2025.08.26