2020.05
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砂漠を潤す、アリゾナ生まれの"地酒" - ホルブルック(アメリカ)・Arizona Sake
アメリカ大陸を横断する旧国道「ルート66」の宿場町・アリゾナ州ホルブルック。波打つ砂漠地帯の谷間に位置する人口5000人の小さな町に、マイクロブルワリー 「Arizona Sake(アリゾナ・サケ)」はあります。
日本の酒造メーカーで10年の醸造経験を持つ櫻井厚夫さんが妻・ヘザーさんの故郷であるこの地でSAKE造りを始めたのは、2017年のこと。輸入酒がほとんど届かず、カリフォルニア州やニューヨーク州のような都市部におけるSAKE文化の新興とは無縁の町で、人々に地酒を届け続けています。
(※参考)国税庁の定める「地理的表示」により、『日本酒』と名乗ることができるのは「国内産のお米だけを使い、日本国内で製造された清酒だけ」と規定されているため、ここでは海外で造られたお酒を「SAKE」と表記しています。
なぜ、アリゾナでSAKEを造るのか
海外でSAKEを造ろうと思い立ったのは、東北大学農学部で学んだ学生時代、まだ就職活動を始める前のこと。日本では新規に日本酒の醸造所を建設できないことを知った櫻井さんは、「海外で自分自身の醸造所を建てよう」という目標を胸に、お酒造りを学ぶためにとある酒造メーカーへ就職しました。
酒造メーカーで杜氏として活躍するかたわら、海外進出のために英語の勉強をスタート。そこで出会ったのが、アメリカから外国語指導助手(ALT)として日本へやってきていた妻のヘザーさんです。そして就職から約10年後の2014年、櫻井さんご夫婦は3人の子どもとともに、奥さんの故郷であるアリゾナの地へやって来ました。
とはいえ、日本と気候が極端に違い、市場の小さいアリゾナに酒蔵を建てるつもりはなく、当初はより都市部でのビジネスを画策していたのだとか。しかし、シアトルやポートランドなどの理想的な場所を探す中で、起業や酒造免許の取得に苦戦。途方に暮れながらアリゾナへ戻り、ホルブルックの公園を歩いていたときに、通りすがりの男性から言われたといいます──「なぜ、ここでやってみないのか」。
「『残り物には福がある』という言葉がありますが、あれは、絶対にやりたくないけれど最悪そこでも構わないような、究極の残り物という意味なんじゃないかと思っていて。そこへ到達するためには、ほかのすべての選択肢を消去しなくてはならないんです」と櫻井さん。「当時はもう、『ここでいいや』みたいな境地に達していたんですよね。ニューヨークやフロリダなど他州を当たってみようかとも考えましたが、『どこでやっても一緒だろう』、と」。
飲酒を禁じる民族の町で、自宅のガレージを酒蔵に
ホルブルックでのSAKE造りは、櫻井さん一家が暮らす一軒家のガレージからスタートしました。
「家のガレージで酒造ビジネスの許可を得たというと驚かれます。シアトルだったら絶対にダメだと言われたので、アリゾナ州だからできたことなのかもしれません。しかも、僕みたいな“よそ者”がやるなんて」
そんな櫻井さんの前に、別の課題が立ちはだかります。ホルブルックはモルモン教徒の住民が多く、飲酒を厳禁とするその宗教観から、アルコールに対してよくないイメージを抱える人が多かったのです。こんな町で酒蔵が建設されれば、住宅の価値が下がるかもしれないし、子どもたちにも悪い影響が出るのではないか──近隣の人々の反対の声を受けて、櫻井さんは説明会を実施しました。
「バーをオープンするわけではなく、ただ製造して出荷するだけだから、酔っ払ったお客さんが近隣を歩き回るようなことはないと話しました。説明の内容に納得してもらえた部分もあるでしょうが、僕の見た目が──その、変な格好をしているわけでも、全身にタトゥーしているわけでも、前科あるわけでもないので(笑)、最終的には許可を得ることができました」
近隣の人々の理解を得ることに成功したあとは、行政への提出資料の作成と並行して、SAKE造りのための設備を整え始めます。「大抵の家庭のガレージって、ともかくいろいろなものがいっぱいあるんですよ」と、ガレージの整理・修繕を苦々しげに思い返す櫻井さん。日本から専用の機材を入手する手立てもなく、アメリカで手に入る資材を調達、DIYで“俺の酒蔵”を建設。渡米から約2年を経た2017年1月、ようやくビジネスをスタートしました。
そして2019年秋、Arizona Sakeはガレージから卒業します。住宅地から少し外れた商業施設エリアにて約1200坪の更地を購入、新しい醸造所を建設したのです。
「近所のみなさんはよい人ばかりで、お酒を飲まないにもかかわらず、『頑張ってね』と支えてくれました。だからこそ、迷惑をかけたくないと思ったんです。もちろん、かけたことはないんですけど、これから少しでもかけるようなことがあってはならないと思って」
ホルブルックの町を見下ろすやや小高い立地に位置する新生Arizona Sake。ブルワリーの入口から町へ目を向けると、大きな空と見渡すかぎりの砂地の中、マクドナルドやタコベルの大看板が目を引きます。
「超ビッグブランドと軒を並べる場所(笑)。ホルブルックならではですね」
「どんな水でも造りますよ、僕は」
現在の商品は生酒と火入れの2種類に加え、地元の飲食店限定でスパークリングにごり酒「Desert Snow(砂漠の雪)」を卸しています。原料米はすべてカリフォルニアから仕入れたカルローズ米、仕込水はアリゾナ州の中でも溶解物質が少なく良質とされるココニーノ帯水層の湧き水を使用。
水質について尋ねると、「季節によって味が違うんですよ。深さの異なる水源が4つほどあって、雨の量によって水深の浅いところから吸い上げるか、深いところから吸い上げるかが変わる。そのせいだと思います」。水質は造りに影響しないのか? という質問には少し眉をひそめて、「砂漠地帯にとって、水は天のめぐみ。僕は飲める水に対してよいだの悪いだの言うのは嫌だと思っています。飲めるなら、硬水だろうが軟水だろうが関係ない。どんな水でも造りますよ、僕は」。
発酵兼醸造用の部屋は、冷房をしっかり完備。「夏は冷房がないと話になりませんが、冷房設備さえあれば大丈夫。ただ生活するだけなら、真夏以外はそこまで必要でもないんですが……」。ホルブルックは砂漠地帯とはいえ標高が高いため、夏は40℃近く、冬は氷点下まで気温が下がります。
部屋の中にはワイン用の小型の仕込みタンクが並び、壁際ではどっしりとした槽が存在感を放っています。日本で使われている醸造機器は「どうやって入手するかさえわからなかった」という櫻井さん、こちらの槽ももちろん手づくりです。
「袋に入れて上から圧力をかける、最も原始的な形式。簡単な構造だし、コストも安いだろうと思っていたんですが、鉄って意外と高いんですよね」
資材の接続部分をクローズアップしてみると、苦戦の跡が。
「ドリルで穴を開けるんですけど、硬いからひとつ開けるのに45分くらいかかる。それに、二カ所の穴の高さを完全に合わせなくちゃならないんですよね。2mmくらいズレるだけで入らなくなっちゃうから。精密にしたいけど、精密器具なんて持っていないので、定規と鉛筆を使いました」
そんな櫻井さんが“俺の酒”と呼ぶ生酒をいよいよテイスティング。グラスから漂うのは、青リンゴやブルーベリーを思わせるやや複雑なフルーツ香。テクスチャは軽く、香りと齟齬のない味わいが、クリーンに切れてゆきます。生酒ならではのわかりやすい魅力もありながら、ていねいな苦味も兼ね備えた、ちょっぴり硬派なお酒です。 ご家族そろっての夕食の席で、櫻井さんはこの生酒を大胆にも電子レンジで温めてくれました。ゴーダチーズと一緒に口に含んでみれば、お酒がチーズを、チーズがお酒をおいしくしてくれる最高のペアリングが楽しめます。
なぜこの味を目指したのか尋ねると、「いろいろなお酒が好きなので、どんな味が好きかというのは自分でもわかっていないんですよね」と首を傾げます。「飲む人が喜んでくれるSAKEを造りたくて、ひとつの答えがこの味。決してこれが最良だと思っているわけではないんですが、幸いにしていま喜んでもらえているので、これを造り続けています」。
アリゾナの人々に愛される真の"地酒"
二週間に一度は、州北部の交通の要衝・フラッグスタッフに営業へ。自家用車──「アメリカへ来ていちばんにやった仕事は、この中古車の修理。エンジンが壊れていたので、中古のエンジンを付け替えたんですよ」──にケースを積んで、約90分の砂漠道を走ります。
「以前、とある寿司レストランに飛び込みで営業したら、『SAKEは嫌いだ、飲めたもんじゃない』と言われて。寿司屋のサーバーですよ?(笑)ところが、僕のお酒を飲んだら『おいしい』と驚いて、それから使ってくれるようになったんです」
お酒造りだけではなく、そうした営業活動やお客さんとのコミュニケーションも楽しみのひとつだと語る櫻井さん。
「この地域の人が飲むお酒といえば、バドワイザー、クアーズ、ミラーなどの大手メーカーのビールで、富裕層なんていないからワインにこだわるような人もいない。僕のお酒も、『日本酒』の延長というよりは、『Arizona Sake』という独立したものとして認知されていると感じます」
取引先のひとつである寿司レストラン「Karma(カルマ)」のエドは、「うちのお客さんは地元が大好きで、ローカルの製品を応援しようという気持ちが強い。そういう意味で、Arizona Sakeを売るのは簡単です」と胸を張ります。「輸入された日本酒もそろえていますが、クオリティを比べても遜色ありませんから」。
「初めはもっと多くの日本酒を扱っていたんですが、あまり売れないし管理も難しいから、人気のあるものだけ残したんです。そのひとつがArizona Sake。お客さんが本当に好きなんです」と笑顔を見せてくれたのは、アジア多国籍料理店「Lotus Lounge(ロータス・ラウンジ)」のジニー。 「お客さんは、アツオがI-40(州間高速道路40号線)を90分も走ってお酒を届けてくれることを知っています。彼はいつも笑顔で、ポジティブで、お客さんを見つけたら喜んで話しかけてくれる。お客さんはみんな彼のことが大好き。Arizona Sakeはアリゾナ州と北アリゾナの看板商品です!」
砂漠の中の小さな町で、遠い島国からやって来たひとりのアジア人が、馴染みのない飲み物を作っている──やや奇妙にも響くストーリーですが、街の人々に話を聞いてみれば、むしろその点に魅力を感じているということが伝わってきます。そんな櫻井さん、2018年に日本で開催された「SAKE COMPETITION 2018」の海外出品部門にて一位のGOLDを受賞したときは、アリゾナ州知事から州知事賞を授与されたのだとか。
「日本人がアリゾナ州の州知事賞をもらうというのは史上初なんだそうです。ユニークな点を評価してくれました。『困難を乗り越えてよくやった!』と捉えてくれたんじゃないかと」
アリゾナの文化に彩りを与えるArizona Sakeは、まるで砂漠にもたらされたオアシス。櫻井さんのSAKEは正真正銘の“地酒”として、この地の人々に愛されているのです。
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