
2026.02
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いまや「SAKE」として世界の多くの地域で楽しまれるようになった日本酒。輸出金額は10年前の約4倍と大きく伸び、昨年「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、さらなる注目を集めています。
日本酒の海外進出の大きな立役者となったのが、海外初の酒造会社としてハワイに存在した「ホノルル日本酒醸造会社(ホノルル酒造/銘柄:宝正宗)」の副社長として活躍した酒造技術者・二瓶孝夫です。彼が1954(昭和29)年から技術指導を行ったホノルル日本酒醸造会社は、安定した低泡酵母を使った世界初の酒蔵であり、その技術は現代の日本の酒造りにも受け継がれています。
また、国外で最も長い歴史を持つ日本酒コンテストである「全米日本酒歓評会」は、二瓶氏の功績を讃えて始まったもので、米国での日本酒文化の広がりに貢献しています。米国や世界で日本酒がSAKEとして広く認知されるようになったのは、まさに彼の存在あってと言えるでしょう。
今回の記事では、日本とアメリカの架け橋として、両国の酒造りに大きな貢献を果たした二瓶孝夫の生涯と、彼が残した数々の功績を振り返ります。

1925(大正14)年に東京に生まれた二瓶孝夫は、現在の酒類総合研究所(広島県東広島市)の前身となる東京・王子の大蔵省主税局国税庁醸造試験所(東京都北区)に技師として勤務していました。
アメリカでは1933年(昭和8年)の禁酒令の解禁とともに、日本からの移民による清酒の醸造が本格的に開始され、次々に酒造会社が誕生。醸造試験所からは数名の技師が技術指導のためハワイへと派遣されていました。