
2025.06
03
外食大手から酒蔵経営へ進出。富士山麓で地元産コシヒカリの日本酒を醸す - 静岡県・御殿場石川酒造(「雪解」 / 「榮」)
2024年、静岡県御殿場市に日本酒を造る新しい蔵が完成し、酒造りが始まりました。同県内の御前崎市にあった酒蔵の免許を御殿場市に移し、御殿場石川酒造として再出発を果たした仕掛け人は静岡県東部で外食事業を展開するつぼぐちグループの坪口榮二(つぼぐち・えいじ)代表です。
「地元の御殿場で栽培したコシヒカリで造る美味しい地酒を御殿場の名産品にしたい」という趣旨に共感する人々を増やし、地元の支援を得て、事業を順調にスタートさせています。酒造りに情熱を持つ3名の蔵人を採用し、多彩な味の酒造りを始めた現場を訪ねました。
10年来の夢「本当の地酒」を実現した酒蔵
御殿場の市街地の西方、車で20分ほど坂道を登った標高600メートルほどの高原。見上げる富士山が圧倒的な大きさで迫ってくる場所に、御殿場石川酒造の新しい蔵がありました。
漆喰塗りとなまこ壁が古い蔵を連想させる建物の正面ののれんをくぐると、蔵で造られたばかりのお酒がずらりと並んでいました。販売所には平日にも関わらず、買い物客が頻繁に出入りし、日本酒を物色していました。
売店の奥の扉を抜けると、そこは醸造場。空調の利いた真新しい部屋には原料処理のための最新設備や温度管理ができるサーマルタンクが9基並んでいます。2部屋が隣接して広々としたのパネル式の麹室があり、一方で0℃まで下げられる冷蔵庫の中に搾り機が置かれていました。
「御殿場産の米と富士山に降った雨や雪の伏流水で造った本当の地酒を、御殿場市民のみなさんに飲んでもらいたいという夢が10年がかりでようやく叶いました」と、御殿場石川酒造の社長を兼ねる坪口さんは感慨深げに話しています。
飲食店や仕出し宅配、肉の工場直売所などを展開し、約300人が働くつぼぐちフードサービス。静岡県東部では外食大手の地位にある同社の発祥は、生鮮食料品や惣菜、お菓子などを販売する「坪口商店」。1955年に坪口さんの母が御殿場市内で始めたお店です。
1970年代に店の仕事に加わった坪口さんは、仕出しやスーパーの鮮魚部門の請負いなどに業務を広げながら、外食産業の将来性を確信し、1983年に「つぼぐち本店」を開いて飲食店事業に進出。2000年にとんかつの「かつ榮」を出店すると、これが大ヒット。2005年以降は鮨、しゃぶしゃぶ、うなぎなどの店も出して、順調に事業を拡大してきました。
そして、「店で提供する食材を自ら手がけて、安心で美味しい御飯や野菜、果物を食べてほしい」との想いから2015年には「つぼぐちファーム」を設立し、コシヒカリや野菜、果物の栽培を始めました。
御前崎市の休眠蔵を事業承継し、地域全体で地酒を盛り上げる
「お客様の口に入るものは、地元産の食材にこだわりたい」という坪口さんの想いは、さらに日本酒にも向いていきました。御殿場に唯一残っている酒蔵に、御殿場で作った米でプライベートブランドの日本酒造りを打診したものの不調に終わり、 「ならば、自力で御殿場に新しい酒蔵を作りたい」との想いを募らせます。
そんな坪口さんの思いを聞きつけた取引先から「酒造りをやめたものの、清酒製造免許をまだ持っている蔵が何軒かある。そうした蔵を事業承継し、御殿場に免許を移せば、新しい蔵を造れる」と提案され、坪口さんは興味を募らせます。そして、最初に会ったのが御前崎(おまえざき)市の石川酒造の蔵元でした。
石川酒造は1882年創業で、長年「鷹松(たかまつ)」の銘柄で酒造りをしてきました。しかし、オイルショック後の需要低迷期に自醸をやめ、その後、販売もやめて、事実上の休眠状態でした。創業した石川家からは「創業者の想いを考えると免許を返上して完全に消えてしまうのはつらくて免許を保持してきたが、自分たちで復興する気持ちはない。同じ静岡県内で酒造りを始めるのに役立つなら喜んで事業承継をしたい」と快諾を得て、2019年に石川酒造を傘下に収めました。
坪口さんは「新社名を考えるにあたり、石川家の想いを受け継ごうという想いを込めて『御殿場石川酒造』と名づけました」と、社名の由来を話しています。
石川酒造を傘下に収めた時は、2021年には新蔵を完成させるつもりでした。しかし、2020年に入って日本に広がった新型コロナウイルス感染症のために、つぼぐちフードサービスのお店も臨時休業を余儀なくされ、それ以降も営業短縮を迫られて、酒造り開始は大幅に遅れることになりました。
「しかし、時間に余裕ができたので、先進的な酒蔵の実例を集めることにしました」と坪口さん。酒蔵のプロジェクトの責任者となった担当者が、全国各地の酒蔵を見学して回りました。
特に新設された酒蔵については念入りに調べていき、「立ち上がりから納得のいく品質のお酒を造るために必要な設備はすべて入れたい。嫌われ役になっても、ここは現状を詳しく説明しなければ」と覚悟を決めた彼は、社長に談判します。
坪口さんは「外食のお店なら設備投資は数年で回収するのが普通だが、それよりはるかにかかることを聞かされて驚きました。ただすぐに、『酒造りの世界は30年、40年のスパンで考えなければならない。変に投資を削って、逆の結果が出て後悔するよりはいい』と腹をくくりました」 と話しています。
もうひとつ、坪口さんが目指したのは、このプロジェクトを御殿場全体で盛り上げるように仕立てることでした。御殿場で育てられた米と富士山の伏流水で造った「真の御殿場の地酒」を造る意義と趣旨を、地元の農家や親しい企業経営者などにも丁寧に説明して回り、オール御殿場で盛り上げていけるように取り組みました。
その結果、有志達が用地を購入して、蔵を建設することに。御殿場石川酒造は土地と建物を賃借し、最新の醸造設備で酒造りのみに専念できる体制ができあがりました。
「設備のせいにできない」完璧な環境。3人で酒造りをスタート
一方で酒造業界には人脈がなかったので、杜氏探しには苦労しましたが、蔵に設備を納入した会社の担当者の紹介により、植村正彦さんに出会いました。植村さんは大阪の酒蔵を皮切りに石川、岐阜、群馬の酒蔵で酒造りに携わり、2024年4月からは自身で会社を興して、他の日本酒蔵の設備を借りて日本酒を造る準備を進めているところでした。
「これまでもいろいろな酒蔵から誘いの声もありました。ただ、話を聞いてみると蔵の設備に難があったり、待遇面で納得がいかなかったりで縁に恵まれず、それなら自力でと考えていた時期でした。なので、誘いがあった時も、あまり期待しないで御殿場に行きました」と植村さんは振り返ります。
しかし、御殿場に足を運んで、蔵の設備を見て、さらに坪口社長と話をした結果、植村さんは「いい意味で裏切られました。足りない設備があれば指摘しようと思っていましたが、すべてが文句のない体制でした。また、待遇面も納得がいくもので、蔵の近くに借り上げてくれた住まいは立派なログハウスで、これなら酒造りに集中できるなと感じました」と同社で働くことを決意します。
幸い、群馬の蔵で一緒に仕事をした優秀で頼り甲斐のある友人が来てくれることになり、さらに「どうしても酒造りがしたい」と願って蔵人募集に応募した地元の男性を合わせ、計3人で酒造りを始めることになりました。
洗米には10kg単位で洗う最新式の機器を用い、麹室は贅沢なほど広くて使いやすい。空調が利く仕込み部屋に温度調節ができるサーマルタンクが並び、搾り機も冷蔵庫の中で、酒質の善し悪しを設備のせいにできない環境でした。
ところが、1本目の仕込みは酒造好適米ではなく、食用の御殿場産コシヒカリ。「食用米で麹を作るのは初めて。うまくいかなかったらどうしよう、という不安を抱えながらのスタートでした」と植村さん。しかし、以前世話になった杜氏から「いきなり100点を取らなくたっていい。自分の力を100%出し切ることに集中しなさい。そうすればおのずと結果はついてくる」とアドバイスをもらって、気持ちが落ち着いたのだそうです。
結局、麹はほぼ狙いどおりにできあがり、醪の発酵も順調に進み、12月16日の仕込み1本目の上槽日に槽口から出てきたお酒を利いた坪口さんの満足そうな表情を見て、「肩の荷が下りた気分でした」と胸をなでおろしたそうです。
御殿場産コシヒカリのお酒には「雪解(ゆきげ)」 、それ以外のお酒には「榮(さかえ)」 という銘柄をつけて、1月中旬の蔵開きで正式にお披露目されました。造るお酒は純米吟醸と純米大吟醸の2種類だけで、販売価格も四合瓶で2000円前後からそれ以上の価格設定としています。「これから小ロットで多種多様なお酒を造って、多くの飲み手に喜んでもらえる酒蔵にしていきたい」と坪口さんは意欲を見せていました。
酒蔵情報
御殿場石川酒造 御厨榮蔵(みくりやさかえぐら)
住所:静岡県御殿場市印野1388-37
電話番号:0550-75-7788
創業:1882年
社長:坪口榮二
杜氏:植村正彦
Webサイト:https://www.gotembaishikawashuzo.com/
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