金融業界から転身し日本酒蔵を継承。新時代の女性蔵元が目指す地酒蔵のビジョンとは - 新潟・葵酒造

2026.02

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金融業界から転身し日本酒蔵を継承。新時代の女性蔵元が目指す地酒蔵のビジョンとは - 新潟・葵酒造

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

東大を出てから、金融の世界を渡り歩き、キャリアを重ねた女性が、ひょんなことから日本酒の世界と出会い、ついには新潟の酒蔵を買って2024年暮れに女性蔵元になりました。その名は青木里沙さん、39歳。需要減少が続く日本酒の世界でも、「スタートアップが工夫と努力を重ねれば優良企業になれるし、業界に新しい風を吹き込むことができる」と確信して、新潟県長岡市の葵酒造で、今季から本格的に酒造りを始めています。

強力な仲間たちを集め、小さな地酒蔵の“エクセレントモデル”を目指す青木さんのこれまでの軌跡と現在の取り組みを追います。

不登校、中退、東大入学、内定先の倒産……波乱の学生時代

三重県松坂市で1986年に生まれた青木さん。父は地元で名の知れた学習塾の経営者でした。小さいころから勉強が得意だった青木さんは、地元の中高一貫校では常に学年トップの成績でした。

ところが、「良い成績をとっても嬉しいという気持ちがあまり湧きませんでした。むしろ、少しずつ、テストでいい成績を取る意味を感じられなくなっていきました」とこぼす青木さん。中学3年生になるとその気持ちはさらに膨らみ、突然、不登校になりました。なんとか中学は卒業するも、形式上高校に入ってからも、不登校は続きます。

「電池切れでした。何もかも馬鹿らしくなって、結局一日も高校へは行かず、高校2年生に進級するタイミングで退学しました」と青木さんは当時を振り返ります。父は「(学校へ)行きたくなければ行かなくてもいい」という反応でしたが、青木さんは「大学には行くから」と伝えていました。

不登校になってからは、バイトをしたり、グラフィックデザインの勉強をしたり、学校に行っているときにはできなかったことをして過ごしましたが、「このままでは何にもならない」と次第に思うようになり、大学へ行く目標を立てます。高2の歳の半ばには大学受験をするための大検(大学入学資格検定)を受験して合格し、高3の歳からは独学で大学に入る準備を進めました。

青木さんは2005年、東京大学の理科一類にストレートで合格します。もともとクリエイティブな仕事がしたいと考えており、理系科目が得意だったので、「将来は建築の世界へでも」と漠然と思いながら受験したそうです。

しかし、いざ大学に入ってみると、「自分はアーティストの才能が求められる建築の世界で名をあげるだけの素質はない」と早々と見切りをつけ、3年生に進級する時の進学振り分けで経済学部に移りました。そこでは金融工学などの企業の資金調達の世界を学びます。 金融業界での就職を目指して内定をもらったのが米国のリーマン・ブラザーズの日本法人でしたが、入社の半年前の2008年9月に倒産。内定先が就職前に消滅するという事態に直面しました。

リーマンの内定者はほかの金融機関による採用があり、青木さんも証券会社系の投資銀行部門に入って、企業の株式などによる資金調達の仕事につきます。その会社を数年で辞めて、次はヘッジファンドに。さらにその次は不動産投資の会社に移って、上場準備担当者に。「結果として企業金融の世界を複数の立場から経験することができました」と青木さん。不動産投資の会社に在籍していたときは、社長がワインと日本酒に詳しく、おいしいお酒を飲む機会を得たことをきっかけに、それらのお酒に興味が湧き出した時期でもあったそうです。

シンガポールからコロナ禍で帰国。経営企画担当として酒蔵へ

30歳で結婚した青木さんは夫の赴任を契機に、2017年春にシンガポールに移り、しばらくして会社を興し、M&Aの仲介事業を始めます。そのまま3年ほどシンガポールにいましたが、コロナ禍で日本に戻らざるを得なくなってしまいました。

またシンガポールに戻るつもりでとりあえず大学の友人に誘われた仕事を受け、スタートアップの上場準備担当として働きましたが、なかなかコロナ禍が収まらないことを受けて考えを改めます。日本に長く住むつもりで、改めて自分にとって意味のある仕事を探す中で、「日本の良さを活かしながら海外に目を向けてできることであり、自分の好きなことが重なるのは日本酒の業界ではないか」と考えるようになりました。

そんな矢先、2020年の暮れに山形県の地酒蔵との縁があり、翌年夏には酒蔵の経営企画担当として入社することができました。

「日本酒の国内需要は長期低落傾向にあるので、大半の酒蔵は経営的にも厳しいかと思っていたのですが、そんな逆風の中でも売り上げを伸ばして、利益もしっかり出している会社が意外に存在することを知りました。

その経営手法はさまざまですが、それぞれが得意な分野に力を入れていて、日本酒の世界もやりようによっては優良企業を育てることができるのではないかと感じました。そして、ケーススタディを見て、私ならこうするのになあ、自分でやってみたいなあ、という気持ちを膨らませていきました

酒蔵を経営したいという想いで、新潟の酒蔵の事業承継へ

コロナ後の経営環境の激変もあり、青木さんが就いていたポジションが不要になったことを受け、2023年には同社を退職します。退社後は再び友人から頼まれた仕事などをフリーランスでこなしていましたが、徐々に「やっぱり、日本酒の世界に身を投じたい。酒蔵を買って、自分が思うように経営をしてみたい」という思いが強くなっていきました。

青木さんは、伝手をたどって日本酒蔵のM&A案件を探していきます。複数の候補のなかから大詰めの交渉まで進んだ酒蔵もありましたが、結果的には破談に。そんな中で出会ったのが、今回買収した新潟県長岡市の高橋酒造でした。

高橋酒造は安政年間(1855〜1860)創業の老舗。長岡の雅称である「長陵(ちょうりょう)」を主力銘柄にして、長年地元で愛されていた蔵でしたが、2011年に埼玉県の麻原酒造の子会社になりました。日本酒を造っていた麻原酒造の蔵の建物が2011年3月に火事で全焼し、代わりの醸造拠点を求めて高橋酒造を傘下に収めていたのです。ところが翌年、埼玉に新しい醸造拠点を再建することが決まったため、代替拠点としての役割は1年で終わり、その後はグループ企業として細々と酒造りを続けてきました。

高橋酒造の株主は麻原酒造のみとシンプル。設備の老朽化は否めないものの、長岡駅から徒歩圏内にあり、敷地も広いことに魅力を感じ、青木さんは麻原酒造の社長に会いに行き、買収の希望を申し入れます。その時はライバルもいたようで、青木さんは自分の情熱とやる気を伝えるために得意の経営計画作りに取り組み、10年間でどのような酒蔵へと変身を図りたいのかを詳細にプレゼンしていきました。

足繫くやってくる青木さんに、麻原社長は「酒蔵を買いたいとしか言わず、提示金額で勝負しようとする会社が多いなかで、君のような人間は異色で面白い。譲るのであれば君の方が酒蔵にとっても幸せだ」と評価し、譲渡が決まりました。

山形時代の仲間たちが想いに賛同して集結

調印は2024年9月。青木さんは将来の事業展開も考えて持ち株会社を設立したうえで高橋酒造の全株式を取得し、代表取締役に就任。並行して、喫緊で必要となる運転資金の調達も行いました。翌2025年2月には社名を葵酒造とします。

異業種が日本酒蔵を買収した際に一番苦労するのが杜氏探しです。買収時に高橋酒造にいた杜氏は体調がすぐれず、代わりの杜氏を探さなければなりませんでした。しかし幸運なことに、青木さんが山形時代に出会った奥羽自慢の元杜氏・阿部龍弥さんが「青木さんが蔵元になるのなら、是非手伝いたい」と2024年の冬から蔵に来てくれることになったのです。阿部さんは26歳の若さで杜氏に抜擢され、7年間の経験があり、全国の地酒販売店に多くのファンがいる実力のある人です。

杜氏は確保できたものの、高橋酒造の設備は老朽化が著しく、良いお酒を造るには追加の設備導入が必須でした。一方で、高橋酒造のお酒の販売先は通販会社や居酒屋チェーン向けがメインで、これが極端に低い利益率の最大の要因となっていました。

「なんとしてでも3年で単年度黒字にする」と決心した青木さん。造りは総米350〜600kgの小仕込みで高品質の純米酒のみを造る体制とし、お酒は特約店のみの流通に180度転換して、高めの価格設定(720mlで約4000〜5000円)で勝負することにしました。

その冬は新生・葵酒造の一季目として最小限の酒を造る計画とし、小ロットで洗米ができる機械など、必須の設備だけを入れて酒造りに臨みました。「以前の蔵に比べると設備は貧弱で、老朽化が著しかったのですが、寒い時期に限定して酒造りをして、わずか60石ですが、なんとか目指す酒ができました」と阿部さんは振り返ります。

もう一つの課題は銘柄名をどうするかでしたが、山形時代の知り合いだった土居将之さんが1月に入社。ブランディングや販促で実績のある土居さんは2月末には1本目のお酒を売り出すというタイトなスケジュールの中すみやかに準備を進め、「Maison Aoi(メゾンアオイ)」というブランドが誕生しました。

全員の人脈を使って、発売時には11店舗と特約店契約を交わします。お酒の評判は良く、あっという間に完売となって、素晴らしい滑り出しを果たしました。

量を追求せず、ひたすら質で勝負する

そして、いよいよ本格稼働となる今季に備えて、麹室の改良や道具の交換など、設備投資に着手します。小仕込みに適した冷却タンクも入れ、古いタンクは撤去して、大きな空間もできていました。上槽にも新しい機器を入れ、「ほぼ希望通りの投資をしてもらいました。今季はこれで150石を造る予定です。残る課題は麹室を一階に下ろして一新し、仕込みと搾りの部屋を冷蔵化することですね」と阿部さんは語ります。

造りについては、最近、先進的な地酒蔵が取り入れている午後蒸しを採用しています。

午前中に洗米して、午後に蒸すと、洗米から蒸し上がりが一日で済んで作業がスムーズになります。また、あまり米を削らない低精白で綺麗な純米酒を造ることもテーマの一つにしており、麹菌をたっぷりと振りかけて真っ白な総破精の麹米を狙います。以前の蔵ではやっていなかったことで、このあたりが今季の自分の課題ですね」(阿部さん)

青木さんは、「理想の葵酒造のお酒は、綺麗で凛としていて線がくっきりした味わい。香りは品よく強すぎず、酸と甘みのバランスがとれ、全体としてエレガントさを求めたい。阿部杜氏や蔵のメンバーには、言葉による表現だけでなく、一緒にさまざまなお酒を飲みながら方向性を共有しています。もちろん、最終的にそういった酒質をどう造るかはすべて阿部杜氏に一任です」と話します。そんな青木さんも、必要なときは蔵人となって、作業に加わる日々です。

商品ラインナップは全国各地の酒米で造る「Maison Aoi(メゾンアオイ)」がメインですが、青木さんの弟で三重県で稲作をしていた魁人さんが新潟に移ってきて、葵酒造向けの酒米造りに着手しており、これらの酒米で造った酒は「Domaine Aoi(ドメーヌアオイ)」として販売する予定です。

酒質だけでなく、瓶とデザインにもこだわりが詰まっています。

親しい友人たちを念頭に置いていて、彼らがボトルを見て興味を持ち、手に取って、飲んで好きになるようなお酒を目指します。

日本酒業界は斜陽と言われますが、そんな中でも成功している蔵はあるし、うちも独自のスタイルで醸造量がそれほど増えなくても、経営がきちんと成り立つエクセレントモデルになりたい。地元長岡市の優良企業の仲間入りを果たし、葵酒造で働きたいという若者が増えるといいなと考えています」(青木さん)

「Maison Aoi」葵酒造のお酒一覧はこちら

酒蔵情報

葵酒造
住所:新潟県長岡市地蔵1-8-2
電話番号:0258-32-0181
創業:安政年間
社長:青木里沙
杜氏:阿部龍弥
Webサイト:https://aoi-brewery.jp/

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